名寄神社の由緒
当神社の起源は明治三十五年九月十五日に在り、当時の名寄は未だ草昧の地であって 太古より斧鍬の加えたことなく老樹鬱蒼として昼尚暗く荊棘叢生して人頭を没し四顧蕭條の様でした。
しかし、名寄の地勢は北見、手塩に通じる咽喉部に位置してしかも広漠たる沃野は無限の富を
蔵しているが如く誠に前途有望の土地柄を示しておりました。
明治三十三~四年にかけて山形、越中、相馬より次々移住し開拓の斧を振った我々の先人は、
一同協議のうえ、神殿を建立し四柱の神々を奉斎して道北一帯の守護神として仰いだのが
そもそもの名寄神社の創りであります。
その後、振う斧の音高らかに、風雪に挑むこと十四年、遂に版図を成就し百穀豊となり 本市発展の基礎が定まった大正四年名寄に町制が施行されるに及び、町民は公認神社出願を請い、 時の御大礼を記念し社殿の改築、境内地の整備、基本財産の造成をして大正六年十二月十七日神社創立の 認可を受けると同時に村社に列格しました。又神饌幣帛料共進神社にも指定されました。
越えて大正十一年十月七日郷社に昇格。
戦後、神社制度の変更に伴い、神社本庁所轄となり、昭和二十一年六月宗教法人令による法人となりました。
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ご祭神
本殿
- 天照皇大神
- 伊勢神宮に祀られ、皇祖、国民の祖と仰がれる。
- 大國魂神
- 国土開拓の守護神。
- 大巳貴神
- 農業、商工業、縁結びの守護神。別名 大國主。
- 少彦名神
- 漁業、医薬、文化の守護神。別名 恵比寿様。
喜多天神社
- 菅原道真公
- 天神様と崇められ、学問の守護神。
稲荷神社
- 宇迦之御魂神
- 農業、商工業、芸能上達、家内安全の守護神。
豊栄神社
- 豊受比売神
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